名前のない手記(18)

 「バブル」。そうなのだ。奴らのもう一つの共通項は、戦後すぐか高度成長のただ中に生まれ、バブルの絶頂へ向かう「日本の上昇気流」をもろに浴びて育った世代であることだ。奴らにとっては「明日はもっと良く」ならなくてはならず、働く者はすべからくその成長論理に全精力を傾注すべきなのである。私のもっとも嫌いな思想だ。「もっと良い明日」とは何か? 月並みな言い方だが、それは空虚な「物質的な豊かさ」に他ならない。そして獲得された「豊かさ」は、山谷の住人のそれとはまた違う「莫迦のような笑い」に現され、消費されるのだ。会社が伸びざかりのさなか、高級酒を茶のように飲んで戯れる同僚の「莫迦のような笑い」を、私はどれだけ見てきたことか。
 笹本の思想は莫迦の思想なのである。しかし問題はそんなことではない。「もっと良い明日」に準拠しないものに対する「悪罵を口にする特権」。これによって、数多の不幸や悲しみやトラウマが生まれたであろう。私が山谷へ転落したことも――私は豊かな生活に悔いや未練はないが――その具体例の一つなのではないかと私は考える。付け足すと、藤田君の転落もそれらの不幸の残りカスのようなものではないかとも、私は考える。
 笹本のことをこのように分析したのは、花火大会からずっと後のことである。