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名前のない手記(9)

 そんなことを思っていた矢先、藤田君の前に笹本が現れた。大晦日のことだから、よく覚えている。もっとも、その時私は笹本という名前を知ることすらなかったのだが。
 二〇〇八年十二月三十一日、日比谷公園に「年越し派遣村」が開村した。無償で食事と寝る場所が提供されると聞きつけた私はさっそく日比谷公園へ向かった。派遣村へ向かう最中は、巷で話題になっている「派遣切り」の災難に遭った渦中の人間たちの姿を見たいという気持ちも混ざり、妙にワクワクしていた。案の定、派遣村ではボランティアらしき人々が年越しそばを茹でていて、多くの宿無しが長蛇の列をなしていた。マスコミも多数かけつけていて、物々しさに満ちていた。
 平穏が好きな私だがこういう場所も嫌いではない。喧騒に一人でまぎれ、騒々しい静けさとでもいうような感覚を味わうのが好きなのである。「よし、そばが食える!」と、私はさっそく行列に連なった。すると、手の届きそうな先に、見たことのある後ろ姿があった。薄汚れた青いダウンパーカーからにょっこり出ている、乱れた短髪。黒ジーパンを穿いた蟹股の脚。藤田君である。彼は隣にいる、背格好の近い、ただし白髪混じりの眼鏡をかけた中年男と言葉を交わしているようだった。話の内容は聞き取れないが、どうやら二人には初対面ではないらしい馴れ馴れしさがあった。中年男は時どき藤田君を見て、大きな出っ歯を見せてゲラゲラと笑った。すると眼鏡の下の小さな目はなくなり、山谷の住人たちとはまた違う莫迦みたいな顔になった。藤田君はというと、中年男に合わせて口元で微笑むだけのようだった。中年男がいたせいで心なしか藤田君が少しだけ賢くなったように見えた。
 そばを茹でる鍋から噴き上がる湯気が電球の光に浮かび、食事を求める群衆の影がその中で右往左往していた。藤田君と中年男は広場の隅っこでそばをすすっていた。その様子を私は離れたところから見ていた。このような日に、このような場所にいる、藤田君の知り合いらしき人物。恐らく藤田君と同じく「派遣切り」に遭った時代の犠牲者であろう、と私は思った。