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名前のない手記(8)

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 カップ酒干して秋夜の道に捨つ夢見えぬまままどろむ山谷

 こういう短歌を寝床でしたため、新聞に投稿したら、入選してしまった。新聞の評価もいいかげんだな、と思った。短歌の投稿は私の数少ない趣味の一つである。これまでかなりいい確率で入選している。特定の住所のない私は歌壇の評価者の間で「ホームレスの才人」と言われている。ヘドが出そうな賛辞である。
 藤田君とはあの夜以来、ドヤでは仲のいい一人になった。軽口を交わし、酒も飲み交わす。藤田君は、日を重ねるごとに山谷になじんできているようだった。衣服の汚れ具合など、日雇い労務者そのものだった。何にも増して変化を感じたのは、藤田君の笑う時の表情だった。その笑い顔から、なんと言うか、「知性」が削ぎ落とされてきたのである。知的興奮や熱狂を含んだエネルギッシュな笑いでなく、力の抜けた柔和な笑いに変わった。つまり、ちょっと失礼な申し分だが、莫迦のような笑い方をするようになってきたのだ。山谷の住人はたいていこの「莫迦のような笑い」をする。彼らは一様にお気楽なのだといってしまえばそうだが、私が分析するに、彼らは人間としての尊厳に関わる何かを自ら棄却しているのである。打っ棄っているのである。「莫迦のような笑い」という山谷における一種の同類項を自らも持つこと。それはちょうど、世間一般の暮らしを「中流」とするならば、そこから「下流」である山谷の暮らしに転落したことを体現するものだった。藤田君は「下流」を自覚し、受け入れ始めたのである。「中流」に対する諦めを得たのである。だから「莫迦のような笑い」をするようになったのである。しかし、それでいいではないか。藤田君、ようこそ山谷へ。