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名前のない手記(4)

 このドヤ街では藤田君のようにのっけから自分の素性を明かす者は少ない。明かすとしても、よほど相手と親しくなってからのことであろう。しかし、私の経験上では親しくなった相手に対してもここの人間が本当の過去を語るとは信じがたい。ここにたむろする連中は皆、胡散臭いからだ。山谷が東京の「底辺」の代名詞のように言われて久しいが、それはべつに生活苦にあえぐ人間たちの本性が生々しく剥き出しにされていることを意味しない。ここはここで、いたって平和である。そしてここへ集まる人間たちは、一貫して胡散臭いのである。過去に関して言えば、ここの男たちは過去を語るとき、ほぼ間違いなく武勇伝として語る。その大げさな様子が胡散臭いのだ。もっとも、かく言う私自身もその部類に属するのだが。
 しかし、藤田君は、映像研究を学んだという過去について嘘を吐いているようにも誇張しているようにも感じなかった。そして、何より礼儀正しい。藤田君は山谷に適していない人間だ、というのが当初の感想だった。では、何が藤田君を山谷に呼び寄せたのか。
 雑炊を食べ終わると、私の方も見ずに藤田君は言った。
「知ってると言っても、歴史の年号の暗記と同じですよ。誰も、『第三の男』が映画史においていかに重要な映画かなんて、ちっとも興味なかった」
 投げ捨てるように言った。同世代の人間をこのようにバカにするあたり、世間から少しずつズレの生じる人生の要因になりうるな、と思った。私はこのように想像をめぐらして人間を観察するのが好きだった。