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名前のない手記(1)

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 私は今、東京は台東区日本堤にある「金本旅館」という簡易宿泊所の小さな寝床で筆を執っている。周りは静かである。相部屋の者たちは日雇いの仕事に出ている。明け方の薄明が窓から射し込む中、何者にも邪魔されることなく私は文をしたためている。
 ここは山谷のドヤ街の一隅である。ここで半月ほど前、一つの事件が起きた。私の胸の内は、その事件のために深く陥没しているようだ。いつもなら今ごろは東京近郊のマンションの建設現場辺りでコンクリート打ちかセメント袋運びをしているはずだが、胸に空いたこの大きな暗い穴が、働く気を起こさせない。ただ、藤田君と笹本の事件の顛末を書かなくてはならぬと思う一心で、ペンを握り、紙に向かっている。きっと、私は「書く」という営為でこの胸の穴を埋めようとしているのだ。

 墨田区の押上に東京スカイツリーが着工したのは、昨年の夏ごろだったか。あれから数ヶ月過ぎて、ニューヨーク証券取引市場のダウ平均株価が暴落。金融危機はそれから世界を覆った。もっとも、私の周囲での変化といえば日雇いの仕事の数が減ったことくらいなので、世界規模の不況といっても実感は乏しい。しかしその乏しい実感の一つが、藤田君の山谷への来訪と私との邂逅だった。藤田君が山谷へ来なければ、私は世界同時不況のことなど意に介することなく暮らしていたに違いない。
 藤田孝輔君は三十三歳の、未来のある青年だ。だが、いつの間にか密林に迷い込んだように、未来の光を見ることができなくなってしまった。大手の家電量販店で派遣販売員として働いていたが、世界不況の波が日本にも及び、職を失った。住む場所も無くして東京をさまよった末に、山谷へ漂着したという。私はドヤで藤田君と相部屋になり、どちらからともなく言葉をかけ、日を経るにしたがい会話の数も増えて、その事実を知ることとなった。
「ゴミになった気分ですよ」
 藤田君はいつか、そう自嘲しながらケケケと笑った。目は生気を失い、顔や、体全体までもなんだか空気の抜けた風船のように萎んでいた。巷ではファストフード店や「ネットカフェ」で寝泊りする若者が増えているようだった。藤田君もそのような境遇の若者の一人なのだろう。それでも彼は派遣社員のころ、同僚だった年下の女性と結婚の約束を交わしていたらしい。ただしそれは藤田君が正社員になった暁のことであったらしく、山谷を訪れた時点でその望みがついえていたことは言うまでもない。そして、失われた「結婚」の二文字が、私に彼に対するシンパシーを抱かせるきっかけとなった。