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名前のない手記(5)

   〇

 その時点では藤田君はただ「相部屋の奇妙な若者」だった。その印象が変わり、もう一歩踏み込んだ間柄に変わったのは、先に述べたとおり結婚の喪失を聞いてからだ。アメリカでバラク・オバマが大統領選挙に勝利した十一月の初めごろのこと。深夜、藤田君と私はカップ酒を飲みながら金本旅館の表でしゃべっていた。話は映画の話題からアメリカ、オバマのことに転じていった。二人とも、けっこうアルコールが回り始めていた。
「あれですよ。ほら、『ディープ・インパクト』という映画。あの映画でモーガン・フリーマンが黒人大統領を演じていた。九十年代ですよ」
「現実は映画を模倣する、ということか。ははは。『人生は芸術を模倣する』みたいじゃないか」
「ワイルドですね」
 藤田君が自然にオスカー・ワイルドの名を口にしたことに私は内心驚いていた。藤田君は三十歳を過ぎて間もない若者だというのに、「今ドキ」の若者たちとは明らかに趣向を異にしているようである。『第三の男』へのこだわりといい、やはり少々変わっている。
 藤田君は頬を赤らめ、一重瞼を垂れ下げて心地良さそうである。明日は働く気がないと見えて、アルコールの奔流に自らを漂わせている。その日は昼過ぎまで寝ていたようだ。寝癖のかかったままの短髪をガリガリと掻くあたり、少しずつ山谷の堕落者らしくなってきているように見えた。通りは静だ。十一月に入ったものの、ジャンバーを着て酒をあおっていれば、表にいてもさほど寒さを感じなかった。金本旅館の廊下から漏れてくる光を受けて、私たちの酒盛りは続いていた。藤田君はアスファルトに横たわりながら当たりめをブチブチ食いちぎり、私たちの前を通り過ぎる警戒心のない野良猫に投げつけたりしていた。「こいつ、酔っ払っていやがるな」と思った。かく思う私も久しぶりに時間を忘れて飲んでいて、首のすわりが悪くなってきていた。

名前のない手記(4)

 このドヤ街では藤田君のようにのっけから自分の素性を明かす者は少ない。明かすとしても、よほど相手と親しくなってからのことであろう。しかし、私の経験上では親しくなった相手に対してもここの人間が本当の過去を語るとは信じがたい。ここにたむろする連中は皆、胡散臭いからだ。山谷が東京の「底辺」の代名詞のように言われて久しいが、それはべつに生活苦にあえぐ人間たちの本性が生々しく剥き出しにされていることを意味しない。ここはここで、いたって平和である。そしてここへ集まる人間たちは、一貫して胡散臭いのである。過去に関して言えば、ここの男たちは過去を語るとき、ほぼ間違いなく武勇伝として語る。その大げさな様子が胡散臭いのだ。もっとも、かく言う私自身もその部類に属するのだが。
 しかし、藤田君は、映像研究を学んだという過去について嘘を吐いているようにも誇張しているようにも感じなかった。そして、何より礼儀正しい。藤田君は山谷に適していない人間だ、というのが当初の感想だった。では、何が藤田君を山谷に呼び寄せたのか。
 雑炊を食べ終わると、私の方も見ずに藤田君は言った。
「知ってると言っても、歴史の年号の暗記と同じですよ。誰も、『第三の男』が映画史においていかに重要な映画かなんて、ちっとも興味なかった」
 投げ捨てるように言った。同世代の人間をこのようにバカにするあたり、世間から少しずつズレの生じる人生の要因になりうるな、と思った。私はこのように想像をめぐらして人間を観察するのが好きだった。

名前のない手記(3)

   〇

 初めて藤田君と会ったのは昨年の十月の中ごろであったろう。金本旅館で相部屋となった当初は珍しく若い男が泊まりに来ているな、と思った程度で気にも留めなかった。最初に藤田君に注意を向けたのは、十月の終わりごろのある夜である。
 金本旅館では一室に八人の客が泊まる。六畳ほどの部屋に、四つの二段ベッドが備えられている。私は入り口とは反対の窓に面した上のベッドで寝ていた。私はおおよそ毎夜、携帯ラジオを聞きながら眠くなるまで本を読む。ある時、私は用を足すためにイヤホンを外し、ベッドの梯子を降りた。すると、藤田君の寝ているベッドからかすかな鼻歌が聞こえた。カーテンで寝姿はさえぎられていたが、声だけが漏れていた。私はその鼻歌を聞き、とっさにあることに気づいた。「この若い男、映画に詳しいんだな」と。藤田君が鼻歌で奏でていたのは、『第三の男』というイギリスの古い映画のメインテーマだった。私の好きな映画だ。聞き耳を立てながら彼のベッドの前を通り過ぎていくと、メインテーマをずっと歌っていた。それは藤田君も『第三の男』を知り、しかもメインテーマを初めから終わりまで知っていることを物語っていた。藤田君が『第三の男』を歌った理由は単純である。ラジオで流れていたヱビスビールのCMのテーマが『第三の男』のメインテーマを編曲したものだからだ。私もベッドを出るまで、そのCMを聞いていた。
 数日後、彼とは城北労働・福祉センターという生活相談や仕事の斡旋をする施設で出会い、言葉を交わした。ここでは定期的にボランティアによる炊き出しがあり、無償で軽食にありつくことができる。藤田君はセンター前の道路の端に座り込み、雑炊を息を吹きかけながら掻き込んでいた。一人でぽつんとしていたのを見て、私は隣に座り、声をかけたのである。すると、藤田君も私のことを相部屋で一緒の男であると解っていた。
ヱビスのCM曲を聴いて『第三の男』の鼻歌が出てくるなんて、君、いくつなんだ?」
「三十三です。珍しいですかね」
「その歳で『第三の男』は出ない。君の友人たちの間でも君の存在は珍しいだろう」
「大学では映画の歴史をやったので、みんな知ってはいましたがね」
 納得がいった。聞くと、藤田君は大学では映像研究を専攻していたとのことだった。

名前のない手記(2)

 ここで私自身のことを、必要なだけ記しておくことにする。私はすでに五十歳代に差しかかろうという中年の男である。三十歳代の終わりごろ、それまで数年間つづけてきた結婚生活を失った。それからというもの、私はサラリーマン生活がさっぱり厭になった。上司や先輩に気を遣い、客に愛想を振りまき、定時に会社へ出て定時に会社を出る、そして月に一度給料を得て、生活を組み立てる。そのような社会人としての当たり前の暮らしというものが、「結婚」の二文字が無くなった時から、なんだか阿呆らしいものにしか感じなくなった。かと言って、振り返ってみると、かつての妻だった女性との愛が、私が社会生活を営む根拠の全てだったとも思えない。将来に望む夢や目標もなく、生活に一本通しておきたい筋だとか志だとかいうものも特になく、ただその日その日を適度に、激しい喜びも深い苦しみもないまま漫然と過ごしていた私にとって、結婚もただの建前に過ぎなかったのだろう。だから私という人間の生活のどこかに楔のように刺さっていた「結婚」の二文字がポロリと落ちた時、私の社会人としての人生はごく自然に崩れ去ったのだ。会社や同僚や世の中への恨みもない。去った女性への悔いもない。ただ一切は風のように私の眼前を過ぎていった。私自身も風に舞う枯葉のように宙をただよい、やがて、東京の淀んだ淵のような山谷という一角へ降り立ったというわけだ。この薄汚い街こそ、私にもっともふさわしい住処であると思える。先ほど「サラリーマン生活がさっぱり厭になった」と書いたが、嫌悪したというよりは忌避したという方が近い。学生のころはさほどでもなかったものの、社会へ出てから、私は軽いうつ状態が続いていたと思う。目標に胸を燃やすこともなく、会社や上司の理不尽さに怒りを爆発させることもなかった。なるべく波風の立たぬように身辺を整理し、小さく小さく生きていたのである。それでも尚私は社会人として当然果たさなくてはならないもろもろの責任に憔悴していた。辛かった。なぜ辛かったのかは解らない。きっと、精神が薄弱なだけなのである。そういう私にとって、この山谷という街は住み心地の良いものだった。ここでは自主性や責任や誇りや志の一切が不要なのだから。
 誰かが私のことを卑怯だとか怠惰だとか臆病だとか言おうが、私は構わない。否定する積りもなく、実際にその通りだろうと思う。もとより筆を執った理由は私のことを誰かに伝えるためではなく、藤田君のことを書き留めておきたいからである。

名前のない手記(1)

   〇

 私は今、東京は台東区日本堤にある「金本旅館」という簡易宿泊所の小さな寝床で筆を執っている。周りは静かである。相部屋の者たちは日雇いの仕事に出ている。明け方の薄明が窓から射し込む中、何者にも邪魔されることなく私は文をしたためている。
 ここは山谷のドヤ街の一隅である。ここで半月ほど前、一つの事件が起きた。私の胸の内は、その事件のために深く陥没しているようだ。いつもなら今ごろは東京近郊のマンションの建設現場辺りでコンクリート打ちかセメント袋運びをしているはずだが、胸に空いたこの大きな暗い穴が、働く気を起こさせない。ただ、藤田君と笹本の事件の顛末を書かなくてはならぬと思う一心で、ペンを握り、紙に向かっている。きっと、私は「書く」という営為でこの胸の穴を埋めようとしているのだ。

 墨田区の押上に東京スカイツリーが着工したのは、昨年の夏ごろだったか。あれから数ヶ月過ぎて、ニューヨーク証券取引市場のダウ平均株価が暴落。金融危機はそれから世界を覆った。もっとも、私の周囲での変化といえば日雇いの仕事の数が減ったことくらいなので、世界規模の不況といっても実感は乏しい。しかしその乏しい実感の一つが、藤田君の山谷への来訪と私との邂逅だった。藤田君が山谷へ来なければ、私は世界同時不況のことなど意に介することなく暮らしていたに違いない。
 藤田孝輔君は三十三歳の、未来のある青年だ。だが、いつの間にか密林に迷い込んだように、未来の光を見ることができなくなってしまった。大手の家電量販店で派遣販売員として働いていたが、世界不況の波が日本にも及び、職を失った。住む場所も無くして東京をさまよった末に、山谷へ漂着したという。私はドヤで藤田君と相部屋になり、どちらからともなく言葉をかけ、日を経るにしたがい会話の数も増えて、その事実を知ることとなった。
「ゴミになった気分ですよ」
 藤田君はいつか、そう自嘲しながらケケケと笑った。目は生気を失い、顔や、体全体までもなんだか空気の抜けた風船のように萎んでいた。巷ではファストフード店や「ネットカフェ」で寝泊りする若者が増えているようだった。藤田君もそのような境遇の若者の一人なのだろう。それでも彼は派遣社員のころ、同僚だった年下の女性と結婚の約束を交わしていたらしい。ただしそれは藤田君が正社員になった暁のことであったらしく、山谷を訪れた時点でその望みがついえていたことは言うまでもない。そして、失われた「結婚」の二文字が、私に彼に対するシンパシーを抱かせるきっかけとなった。

アルミニウム(7)

 二人は小屋を出た。そして一言も交わさないまま順路を通って施設を出て、コインパーキングに停めてあったベンツに乗り込んだ。
 ――ふぅ。じゃあ、家まで頼む。
 Aは低い声でつぶやいた。
 ――ちょっと歩いたお陰で、少し酔いが覚めたよ。
 ――ホタル、綺麗でしたね。ああいうのも、たまにはいいかも知れませんね。
 Sはエンジンをかけながら言った。不思議なことに、先ほどまで重苦しかった気分がいくらか軽くなっている気がした。
 ――歌舞伎町のネオンとは別の味わいがあるなぁ。はははは。
 Sは明確に意識しなかったが、Aの声色が先刻よりも落ち着き、優しさを帯びているのを感じた。Aの本心が腹の底からゆっくりと押し出されてきたかのような響きが、はははは、の四音にはあった。Aは一呼吸すると、
 ――さっきは怒鳴ったりして悪かったね。このところ、商売がまったくうまくいかなくって……ムシャクシャしていたんだ。
 と、やたら神妙に語り出した。そういえばAは池袋で土地専門の不動産業を営んでいたのだと、Sは思い出した。
 ――ぜんぶ地震のせいだ。リーマン・ショック以来の大不況からようやっと回復しかけてきたんだが……三月十一日以降にまたガタ落ちになった。しかも、さっぱり先が見えない。ゴールデン街で安酒でも呷らないとやってられんよ……。
 地震のせいだ、というAの台詞がSの胸の深くへ響いた。そうだ、地震なのだ、地震さえなければ俺はこんなところで人のベンツなど運転していないのだし、仕事も家庭ももっと明るい方へ進んでいたはずなのだ……どうして地震など起きたのだろう、どうして俺の生活はずたずたに引き裂かれたのだろう……Sは心の中でそう唱えると、眉間に皺を寄せた。どのように考えても地震の起きた理由など探り当てられない苦しみと悶えが、眉間の皺となって現れ出たのだった。
 しかしまた、地震の理由などいくら追究しても意味はないことも分かっていた。Sはすぐに眉間の力を抜いた。先ほど待機室で洩らしてしまった胸の奥の慟哭を、危うくこの狭いベンツの中でも洩らすところだった。Sはふゥと息を吐いた。
 Aの家はコインパーキングから十分とかからない、板橋区和光市の境目付近の住宅地にあった。Sは秋葉という表札のかかった瀟洒な洋風の二階家の前にベンツを停めるとAを降ろし、門の脇の駐車スペースに車を納めた。AはSからキーを受け取ると、
 ――ありがとうよ。またな。
 と小さくつぶやいた。
 ――こちらこそ。今日は楽しいホタル見物までさせてもらって。ありがとうございました。
 ――ははは。昔は女房と娘と三人で行ったもんだが……男なんざ、いかに一家の長とはいえ、子ども作ってある程度まで育てればもう用無しさ。今じゃ、ただ金を入れるだけの働き蟻だよ。
 Sは苦笑するしかなかった。
 ――さっき渡したノンアルコールビール、帰りに飲んでくれよ。
 ――……はい。
 Aはにやりと笑うと門を開け、玄関の奥へ消えた。ホタルを見る前にもらったノンアルコールビールはまだ開けていなかった。
 十数メートル先にはすでにKの随伴車が停まっていて、こちらへライトを向けていた。Sは小雨が降る中を背を丸めて走り寄った。小雨はライトを浴びて輝いていたが、先ほどのホタルの仄かさはなく、細い光の線となって地面へ向けてまっすぐ落下していた。
 ――お疲れさん。どうだった、ホタルは?
 助手席のドアを開け、急いでシートに腰を下ろしたSに、Kはさっそく問うた。唇を歪めて愉しそうである。
 ――なかなか良かったよ。たまにはああして虫を見るのもいいものかもね。
 SはさっきAに言ったのと同じような返答をした。
 ――じゃあ行った甲斐があったんだな。よかったよかった。しかしこっちはあの疑り深い社長を騙すのが大変だったんだ。何だか、俺だけ損した気分だよ。
 Kが唇をとんがらせてつぶやくと、Sはハッとした。Sの意識に、かねてからの疑問がふたたび浮上した。
 ――どうして、俺がホタルを見に行くのを二つ返事で承知してくれたんだ?一件でも多く仕事する方が、あんたは儲かるじゃないか。
 Kは車を走らせ、ゆっくりとハンドルを切った。
 ――武田さん、待機室を出る間際に俺に何を言ったか、憶えてる?
 ――……ああ。憶えているよ。
 ――たまには、ホタルでも見て気を和ました方がよかったんじゃない?
 Kの真意はSの推した通りだったようだ。
 KはSの私生活についてそれ以上語らず、また追究しようともしなかったが、Sの方はKに何もかも見透かされた気分だった。でもそれはなんら腹立たしいことでもなかった。むしろKに対し、さすが脚本を書いていただけあって人の心を読み取る力があるなと感心した。

 都心へ還る道は、気持ちいいほどに空いていた。
 道すがら、Kは原発事故について力説した。聞くと、なんとKは過去に原発で働いていた時期があるとのことだった。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔でSがKを見ると、Kは自身がフリーライターであることを告げ、今はユニオンに出入りしながら過酷な生活と労働を強いられる者たちの姿を見つめ、文筆活動を続けていることを明かした。
 ――毎夜、都会を彷徨っている人たちとツイッターで語り合っているんだ。誰にも言わないでくれよ。
 Sはひどく面食らった。しかし、フリーターを自称し、スマートフォンを慣れた手つきで操作していたKが、実は過去に映画を学び、町工場に取材して労働者のことを脚本にしていたという意外性が、今ここに解消された思いであった。Sは軽く微笑むと、窓を開け、冷ややかな夜風を浴びながらAにもらった、すでにぬるくなったノンアルコールビールを飲んだ。雨はすっかりあがっていた。
 Kが語るには、三月十一日を境に、放射能汚染はもはや誰も避けられなくなったとのことだった。ヨウ素セシウムストロンチウムなどの元素の名を列挙してKは放射能の危険性を説こうとした。しかしそんな話を聞いてもSはちんぷんかんぷんだった。飲み干したアルミ缶を握りつぶすと、
 ――アルミニウムに被曝する方がマシだよ。
 と火傷の腕をかざしてうそぶいた。Kは先ほどと同じく大口開けて笑った。Sも大いに笑った。こんなに笑ったのは何日ぶりだろうと思うほど笑った。仕事と生活は今も暗澹としたままで、明るい光が射し込む未来などとても想像できないことも分かっていたが、笑った。そして、家へ帰ったら、一人で寝ているRをそっと抱いてやろうと決めた。

 

―終―

アルミニウム(6)

 Kは待機室でこぼした俺の言葉を反芻し、気持ちをいくらかでも察して、ホタルを見に行くなどという呑気な接待を承知したのだろうか。つまりは俺に対するいくらかの憐憫がKの胸に萌したのだろうか。Sは携帯電話をポケットにしまいながらフとそんな仮説を立てたが、ベンツのドアを開け、
 ――行きましょう。
 と、助手席のAに言った時には、Kの心中を推し量るそんな思考も、ろうそくの火がささやかな風に消えるように頭から失せた。雨脚は先ほどより弱くなっていた。
 施設の入り口で整理券を受け取り、十数分待つ間、Aは付近のコンビニで缶ビールを買い、あっという間に飲み干した。
 ――あんたも一杯したら?
 とSにはノンアルコールビールを与えてくれた。
 二人は施設に入った。ホタルの放つ光がきわめて微小であることから、飼育施設の中はほとんど暗闇だった。とはいえこの無料開放はけっこう人気の催しらしく、見物客の群れが暗い中にも長蛇の列を成していた。
 ――何年か前に家族で来た時は、こんなに混雑していなかったと思うんだけどなぁ。
 そうつぶやくAに続いてSは施設の中庭にある飼育小屋に入った。そこは典型的なハウス栽培の小屋だった。ガラス張りの屋根が山型になり、周囲もことごとくガラス張りで、奥行きは十五メートルほどの小ぶりの部屋だった。そのまん中を小さな川が縦に貫き、その脇の板張りの通路をゆっくり歩くというのが順路だった。
 草木が小川の周囲に鬱蒼と茂る中を、数多のささやかな光のつぶてが舞っていた。Sはとんと見慣れない光景を見ながら、Aに続いて通路を進んだ。宙をたゆたう光の球に手をかざしてみると、光は一瞬、闇に消え入って、離れたところでふたたび弱弱しく灯り、どこまでもどこまでも飛んで行った。見上げてみれば、それがいくつも無軌道に漂い、どれもが柔らかな尾を引いていた。Sは、儚い光の群れの織り成すこの世ならぬ景色にしばし見惚れた。前を歩くAは一度もSを振り返らず、また一言も口にせず、ただとぼとぼと大きな背を左右に揺らして歩いていた。さっきまであんなに無遠慮に饒舌だったのがどうしてこんなに黙りこくっているのか、とSが思うほどだった。

(つづく)